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- 作者: 佐々木克
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/11/11
- メディア: 文庫
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大久保さんてほんっっとに寡黙・峻厳・私情に殉ぜず・子煩悩(ちょっと意外)……ってほんと想像通りな人物評ばかりで吹いた。
備忘録に、ちょいちょいメモしておこっと。
「洋行中の公」(久米邦武・談)
洋行中に公の口を開いたのは数えるほどしかない。
…洋行中に大久保さんに口を利かせようとして種々な悪戯をたくらんだ者もあったが、いよいよ大久保さんの前に出ると威厳に打たれてなんともできなかった。私は知らないが、なんでもエジンボロで薩摩の何とかいう人が、大久保さんに一つダンスを行らそうと言って計企んで、宴会に引っ張り出したことがあるそうだ、その時には娘か何かにどうかあの大久保という人と踊ってくれないかと懇々頼んだので、娘が引きずり出すと、大久保もとうとう立ち上がって踊ったそうだ。私は見なかったが、大久保生涯の珍事であろう。「西郷と大久保」(米田虎雄・談)
世の中に西郷と大久保ほど仲の良かったものはあるまい。実に兄弟以上であった。いつか大久保さんの笑い話に、西郷があまり肥満るから心配になって、吉井(友実)なんかと話して妾でも置かしたら好かろうと言うので、西郷に勧めると西郷は「それはヨカ、置きましょう」と言って二、三日すると、佳い奴が手に入ったので見に来てくれとのことで、蠣殻町の屋敷へ見に行くと、妾というのは女でなく大きな犬が二匹いたのだったと、大久保さんが笑って話されたことがある。
「大久保公と伊藤公」(速水堅曹・談)
大久保公と伊藤公の内務卿ぶりは全然正反対であった。…
大久保公になにか頼みがあってゆくと、始めから終りまで黙って聞いていて、こっちがしゃべってしまうと「それだけか」と言って、最期によいなら「ヨシ」、いけなければいけない、と言われるだけであった。
伊藤公は趣が異う。伊藤公へ私が旧藩のことで頼みがあって行ったところが、私がしゃべっている間、公は終始反古に落書きをしておられる。一向身を入れて聞いていそうにないので、憤慨して帰ろうとすると、公はちょっと呼び止めて、では貴方のお話はこうこうですなと、今私の言ったのを繰り返して言われる。それが私の言ったよりは条理も立ち、行き届いておるので感服してしまいました。大久保公ならヨシと云って帰されるところだが、伊藤公はすぐ砕けて、そうですか、じゃ、まア、なんとかやっつけるさ、どうにかなるだろうといった調子で、心おきなく話をまとめられました。「化粧までが正しい」(田辺蓮舟・談)
使節の中でも木戸公とはその性格が正反対でした。ちょっとした話が、旅行中に公用の書付を持って行って、印でももらおうと思うと、大久保公のところではドアを叩くと先ず従者が出てくる。これに用向きを話すと、それから公へ取り次ぐといった順序で、それが朝早くででもあると、なかなか待たされる。というおは、公の頭の天辺には大きな禿があった。ちょっと左の方へ寄った所だったから、髪の毛を長くしてそれを七分三分くらいにわけて、奇麗になでつけて禿を隠されたものだ。床から起きると、まず鏡に向かって髪の始末にかかられるといった風で、洋服でも鏡の前でキチンと着けて、それから人に逢われたものだ。…
木戸公はまたこれとは反対で、折柄寝てでもいれば、ベッドの上に横たわりながら会う。そのままで議論でもおッぱじめるし、好悪はドシドシ言うといったふうであった。…木戸公は寝衣のままでも議論をやったが、(大久保)公は議論はあまり好まれなかった。「家庭の公」(大久保利武・談)
…宅へ帰って父に逢うのが何よりの楽しみでありました。…私どもは夜分など馬車の音がすると、皆争うて玄関に出て、前後左右に付き纏うて室に入るのです。父は椅子へ掛ける。私などが寄ってかかって靴を脱がす。一生懸命に引っ張る。すると、わざと足を固くしたり緩くしたり、いろいろと戯談を試みる。ある時私が脱がした靴を再び穿かして、それを力を入れてまた引っ張ると、力が余ってうしろに転げるのを見て笑ったときの父の顔を、今もなおありありと覚えています。
ひさしぶりの読書
- 作者: パウロコエーリョ,平尾香,Paulo Coelho,江口研一
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2003/04/25
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ブラジル人作家・パウロ・コエーリョの作品。ちょっとショッキングな題名ですね!死ぬことにした、て;
若さと美しさと素敵な恋人や家族に恵まれていたが、単調な日々の繰り返しに絶望したベロニカは、自殺未遂をはかる。
一命はとりとめたものの心臓を壊してしまったベロニカは、たびたび襲ってくる心臓発作に苦しみながら、わずかに残された余命をサナトリウムで過ごしつつ生きることの意味や産まれてきた理由を追及する作品。
「…顔に雨を感じて、魅力的だと思う男性に笑いかけたいの。母親にキスして、愛してると言って、その膝で泣いて、感情を見せることが恥ずかしいだなんて思いたくないの。隠そうとしてたけど、ずっとそこにあったものだから。
…わたしは自分を、一人の男に、一つの街に、人生に、そして最後には、死に捧げたいの」
うーん
やっぱり 毎日 生きていること 変わらないこと 目に見るもの 耳に聞くもの 自分の世界にかかわったもの
すべてのものに感謝しなければ、いけないんだなと。。。そう感じました。今ある一瞬を、当たり前と思ってはいけないのですね。
残りわずかな時間しか残されていなかったベロニカにとって、生きることへの渇望はすさまじいものでした。
自分のうまれてきたことの理由づけを、早くしなければいけないという使命感に駆られているさまが痛々しくもありまあしたが…それでも 自殺する前まで営んでいた何気ない日常に対する気持ちの変化(絶望から希望へ)はきっと彼女の精神を救ったことでしょう。
精神病院、異常者(ルナティック)、多重人格者、本当は正常人なのに狂っているふりをしてサナトリウムにとどまる知的階級クラブ………
たぶん、パウロ・コエーリョは、「正常人」と「狂人」の境界は極めてあいまいというか有る部分では重なっていること、また「狂人」の定義は正常人と呼ばれる一定の規律に則った人々が勝手に作り上げたもので現実的にはどちらが「狂っている」のかわからないもので…いやむしろ抑圧された欲望を抱えて機械仕掛けに無難に生きる人間たちこそ異常なのかもしれないと…そういうテーマを織り込んでこの作品を書き上げたのだと思います。
また、有る面からみると とても 宗教色のつよい作品だったなと
たぶんパウロ・コエーリョご自身が敬虔なクリスチャンなんでしょうか
神秘主義的な色も濃いけど(エドアード…) やっぱり海外文学にはどのページにもキリストが潜んでいるようですね
(私自身は無宗教主義者なのでこういう文学作品中の宗教に触れるたびに一寸戸惑いが生じてしまうのですが)
それにしてもベロニカの公開オナニーにはちょっとたまげましたね〜;;
これ映画化されてるみたいだけどやっぱりR-15指定になってるんね…
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やっと下巻も読了
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/02/15
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上巻読了から時間が経ってしまいましたが忘れないうちにメモしておきます。
物語は征韓論で紛糾する明治政府から始まる。
政韓派筆頭は西郷隆盛。対する政韓反対派は大久保利通や木戸孝允、岩倉具視…
江藤新平はというと、政韓派に組していたようですが、具体的な動きはこれといってありません。
彼の腹のうちには、政韓云々などよりも、政局から薩長閥を追い落とすことでいっぱいだったから!
いやぁ、おそろしいねえ!!
だってこの人、絶対逆恨みでしょ。維新の激動期をほとんど藩のうちで、しかも蟄居状態で内職しながら過ごしたんだから。早い段階から活躍していた薩長ウラヤマシスゆるすまじー!…みたいな;それを敏感に感じ取っていた大久保さんはほんとうにすごい方だと思います;
大久保 (江藤だけは、私怨と権謀だけで動いている。)←正解
で、伊藤博文&岩倉具視の画策で征韓論が失敗に終わり、政韓派の巨魁たちは次々と国元へ帰って行ってしまいます。西郷どんは鹿児島で悠々自適の隠居生活、板垣退助は土佐へ戻って今度は民権運動に手をだしてみたり…(この人尻の安定わるすぎよね;)
江藤も故郷佐賀の不平士族の沸騰を知るや、自ら頭首として革命を起こすべく行動を始めます。勝海舟の江藤評『険呑な男だよ』はとてもマトを得ていますね。
十分な準備もままならないのに突沸してしまう江藤さん!
これに対して江藤の友達の大木 喬任は、『江藤のヘンなところは、自分をまだ書生かなんかのよーに思ってるところだ!』みたいなことを仰っていましたが、江藤さんは自分が参議であることを忘れすぎ若しくは自覚しなさすぎ、なんですね。だれにでも軽々しく思想をしゃべってしまう。
舌鋒するどく議論では負けしらずの江藤さんですが、大切なことを忘れてらっしゃる。
人の上に立つべき人間は、『黙して語らず』を徹底しなければならないことを。
さて、帰郷すべく九州の地へ降り立った江藤さんは長崎に逗留します。そのころ佐賀では不平士族が大挙して小野商会を襲い、金品を強奪するという事件が。大久保利通は ここぞ!とばかりに佐賀士族──ひいては佐賀士族の筆頭に立つはずの江藤新平征伐の大義名分を得たのです。
でもこれって…ひどすぎ!;;
あのう大久保さんってワタシ、私利私欲の一切ないクリーンなイメージがどっかにあったんですよ;もちろん希代の策謀家でもあるので汚いこといっぱいやってきてるの知ってますけどー;
でもこれは私怨というか、江藤嫌いからくる征伐だったんじゃないかしらん…と思ってしまった。
だって、江藤がお縄についてしょっぴかれたとき、東京で山田顕義とかと愉快にお花見してるし…酒宴もしてるし。絶対「江藤捕まえて嬉しいなvパーティー」ですよね(知らんがな)。
で、極めつけは…江藤さん処刑の日、大久保利通が自分の日記に書いた言葉
「江藤、醜躰(しゅうたい)、笑止なり」
……こわっっ!!!
しかも斬首だけじゃ飽き足らず梟首まで…(これって江藤さんが刑法改正したとき無くしたはずの刑だよねえ!!?)
あまりにも皮肉すぎる最期だった…ヽ(TдT)ノ
せめて東京で裁判がおこなわれていたなら、木戸さんとか岩倉具視とか、江藤さんを擁護してくれるナイスガイ(?)たちがいたかもしれないのに。
無念の死に終わった江藤さん。今の時代を見たらなんて言うだろうか?(本当、お疲れ様です…)
そういえば江藤の部下の箕作麟祥は(フランスの民事訴訟法を翻訳させていたとか)江戸時代の岡山県(今の津山市)の蘭学者・箕作阮甫の子供!!
先日ちょうど箕作阮甫旧宅へ行ったところだったので、ちょっと意外な出会いにびっくりしました。
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まだ上巻しか読了してませんが忘れないうちに感想書いときます。
- 作者: 司馬遼太郎
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頌を断ずる、敏捷、便利、公直、
獄を折する、明白至当にして冤枉なく、
且姦悪を為す者は、必ず捕えて折断、
敢て逃るるを得ざらしむ。
是を本省の職掌とす。『司法省の方針を示すの書』
幕末維新を経て明治政府に参加し、司法卿として辣腕を振るった、佐賀藩・江藤新平の話。
・・・私いままで江藤=井上馨にワンキャン吼えまくってた人!みたいなイメージしかなかったYO!
(まぁ間違いではあるまい)
尾去沢事件で井上を政治からひきずり降ろしたり
山城屋和助事件で山縣有朋筆頭 長州軍閥を袋叩きにしたりと
やりたいHODAI!!
でも井上馨以上の政敵として 大久保利通 が挙げられてる ワーオこれどゆこと??気になる
最終章の『巨魁』は大久保さんのことばっか書かれていてウマーです。
江藤さんて維新の動乱期の殆どを、脱藩罪を咎められて蟄居状態で過ごしたんですね。で彗星のように現れて
一気にのし上がり明治政府の高官になった。へー。
判事のクセに与力のマネして汚職官吏を石抱きの拷問にかけ殺してしまった や り す ぎ 江藤さん
きっと井上馨にも拷問ぶちかましたいところだったでしょう…(怖すぎ!!
この時代の政治家には珍しいケッペキさというか、勧善懲悪主義というか、とにかく情状酌量の余地ってものがありません
マッハGO!GO!GO!でございます☆
それにしても江藤新平て、常に単独行動だなあと思ってたけど、要するに、友達いないんですね☆
同郷の大隈重信ともウマがあわなくてイライラ。(あれれ?でも維新前はともに国学者・枝吉神陽のもとへ通った仲なのに?
征韓論で同調した西郷隆盛とも別行動・・・
(まぁ江藤さんのハラのうちには征韓よりも、薩長追い出しのことしかなかったからなー)
ところで江藤さんと膠漆(こうしつ)の大親友だったはずの小笠原唯八(土佐藩士)が戊辰戦争で戦死したとき江藤さんはどんな心情だったのでしょう?
司馬氏、そこ はしょっちゃだめだって!腐女子の萌えポイントが大きく減った…
インフルエンザの季節
病院実習が始まるので
インフルエンザの予防接種に行かなければなりません。
・・・ところでインフルエンザって どうして“風邪”と違って厳重に予防しなきゃいけないか、どうして毎年流行するのか、わかります?
単刀直入にいえばそれは、インフルエンザが一本鎖RNAウイルスだから です。
私たち哺乳類はじめとする様々な多細胞生物は、ふつう、2本の鎖がグルグルらせん構造をとったDNAを、遺伝情報として持っている。生物はこのDNAの中に、自分の全ての情報 (身体を構成するタンパク質の並び方だとか) をいっしょくたにして入れているのは、まあ常識ですよね。
この場合、細胞が増殖したいとき、DNAがいったんRNAという媒体に写しとられてから新たな細胞の部品(タンパク質)を合成し始めます。
(ちなみにこの“DNA→RNA→タンパク質”の一連の流れをセントラル・ドグマという。)
ウイルスの場合は、もともと遺伝情報をRNAのかたちで細胞の中に入れてるものがいくつもあって(エイズウイルスとかも)、インフルエンザウイルスもその仲間。要するにインフルエンザウイルスは、元々あったRNAから直接タンパク質を合成するわけで、ヒト細胞のようにDNA→RNAみたいに まわりくどい方法をとらないのです。
(※ただしインフルエンザウイルスはHIV─レトロウイルスのような増殖法とは又ちがっているのですが、そのへんは難しいので省略)
一本鎖RNAからのタンパク合成は確かにDNAの時より簡便かもしれないけど、それなりにリスクも高い。
というのは、DNAの場合、遺伝情報の読み間違えがおこった時、ミスした部分を元通りの情報になおす遺伝子修復機能も高い。
(DNAから遺伝子情報を読み取るとき、ミスることが結構あるんですよね。生体なんてチャランポランですから。でも、遺伝情報を読み間違えるからこそ生物は遺伝的に多様であり、進化の歴史もこういった“ミス”の積算の賜物なのです)
一方インフルエンザウイルスはRNAから直接タンパク合成を行うので修復できない。
だから遺伝子の変異がおこりやすい → 毎年ちがったカタチのインフルエンザウイルスが誕生→ 毎年ちがったタイプのインフルエンザが流行する
しかもウイルスって すげースピードで増殖するの・・。増殖速度=RNAからの合成スピードが速いってことは
遺伝情報の読み取りの失敗回数も増えるでしょ。だから遺伝的に多様な種類のウイルスができるってわけだ。
し・か・も。
インフルエンザウイルスのRNAゲノム断片って 8つにわかれてやがるの。
どのウイルスもそれぞれ組み合わせの異なる断片で・・・
たーくさんのウイルスが同じ細胞内(宿主─感染先の細胞)で増殖するとき
この断片を多数のウイルス同士が交換しちゃうことがあって・・・
そうすればどうなるか? 遺伝情報読み取り失敗するとき以上に、ウイルスに大きな遺伝的変異がおこり、さらにややこしいことに多様なウイルスが誕生するってわけです。
・・・・わかりますか?;(説明が下手だなあ…)
おたふく風邪とか麻疹は、子供のとき一度罹ったら大人になって二度とかかりませんよね。
あれは、生体内で免疫機構が成立するから。私たちの身体の細胞は、一度 認識した(罹った)ことのあるウイルスの形とかを長い間 覚えているので、二回目に同じウイルスが体内に進入したときすみやかに攻撃し、ウイルスを撲滅する準備を整えている。
だけどインフルエンザはたびたび遺伝子に突然変異をおこして姿カタチを変えるので、生体内に入ってきても私たちの身体の細胞はインフルエンザウイルスを攻撃できないのです。だって見たことない形だから“敵だ!!”って思えないもん。
それゆえに、インフルエンザは毎年流行するのです。
まあ なんてゆうか
インフルエンザウイルスって
なにげに 侮れない 怖い性質のウイルスなのです。