大久保利通 (講談社学術文庫)

大久保利通 (講談社学術文庫)


これは…かなり萌え度の高い大久保利通本だった、

大久保さんてほんっっとに寡黙・峻厳・私情に殉ぜず・子煩悩(ちょっと意外)……ってほんと想像通りな人物評ばかりで吹いた。

備忘録に、ちょいちょいメモしておこっと。

「洋行中の公」(久米邦武・談)

洋行中に公の口を開いたのは数えるほどしかない。
…洋行中に大久保さんに口を利かせようとして種々な悪戯をたくらんだ者もあったが、いよいよ大久保さんの前に出ると威厳に打たれてなんともできなかった。私は知らないが、なんでもエジンボロで薩摩の何とかいう人が、大久保さんに一つダンスを行らそうと言って計企んで、宴会に引っ張り出したことがあるそうだ、その時には娘か何かにどうかあの大久保という人と踊ってくれないかと懇々頼んだので、娘が引きずり出すと、大久保もとうとう立ち上がって踊ったそうだ。私は見なかったが、大久保生涯の珍事であろう。

「西郷と大久保」(米田虎雄・談)

世の中に西郷と大久保ほど仲の良かったものはあるまい。実に兄弟以上であった。いつか大久保さんの笑い話に、西郷があまり肥満るから心配になって、吉井(友実)なんかと話して妾でも置かしたら好かろうと言うので、西郷に勧めると西郷は「それはヨカ、置きましょう」と言って二、三日すると、佳い奴が手に入ったので見に来てくれとのことで、蠣殻町の屋敷へ見に行くと、妾というのは女でなく大きな犬が二匹いたのだったと、大久保さんが笑って話されたことがある。

「大久保公と伊藤公」(速水堅曹・談)

大久保公と伊藤公の内務卿ぶりは全然正反対であった。…
大久保公になにか頼みがあってゆくと、始めから終りまで黙って聞いていて、こっちがしゃべってしまうと「それだけか」と言って、最期によいなら「ヨシ」、いけなければいけない、と言われるだけであった。
 伊藤公は趣が異う。伊藤公へ私が旧藩のことで頼みがあって行ったところが、私がしゃべっている間、公は終始反古に落書きをしておられる。一向身を入れて聞いていそうにないので、憤慨して帰ろうとすると、公はちょっと呼び止めて、では貴方のお話はこうこうですなと、今私の言ったのを繰り返して言われる。それが私の言ったよりは条理も立ち、行き届いておるので感服してしまいました。大久保公ならヨシと云って帰されるところだが、伊藤公はすぐ砕けて、そうですか、じゃ、まア、なんとかやっつけるさ、どうにかなるだろうといった調子で、心おきなく話をまとめられました。

「化粧までが正しい」(田辺蓮舟・談)

使節の中でも木戸公とはその性格が正反対でした。ちょっとした話が、旅行中に公用の書付を持って行って、印でももらおうと思うと、大久保公のところではドアを叩くと先ず従者が出てくる。これに用向きを話すと、それから公へ取り次ぐといった順序で、それが朝早くででもあると、なかなか待たされる。というおは、公の頭の天辺には大きな禿があった。ちょっと左の方へ寄った所だったから、髪の毛を長くしてそれを七分三分くらいにわけて、奇麗になでつけて禿を隠されたものだ。床から起きると、まず鏡に向かって髪の始末にかかられるといった風で、洋服でも鏡の前でキチンと着けて、それから人に逢われたものだ。…
 木戸公はまたこれとは反対で、折柄寝てでもいれば、ベッドの上に横たわりながら会う。そのままで議論でもおッぱじめるし、好悪はドシドシ言うといったふうであった。…木戸公は寝衣のままでも議論をやったが、(大久保)公は議論はあまり好まれなかった。

「家庭の公」(大久保利武・談)

…宅へ帰って父に逢うのが何よりの楽しみでありました。…私どもは夜分など馬車の音がすると、皆争うて玄関に出て、前後左右に付き纏うて室に入るのです。父は椅子へ掛ける。私などが寄ってかかって靴を脱がす。一生懸命に引っ張る。すると、わざと足を固くしたり緩くしたり、いろいろと戯談を試みる。ある時私が脱がした靴を再び穿かして、それを力を入れてまた引っ張ると、力が余ってうしろに転げるのを見て笑ったときの父の顔を、今もなおありありと覚えています。