浅草紅団・浅草祭 (講談社文芸文庫)

浅草紅団・浅草祭 (講談社文芸文庫)

第一次世界大戦後、ヨーロッパから流入してきた文学界の新思潮の影響を受けて、当時の日本の若き文豪たちは今までにないさまざまな作品を作り出そうと試行錯誤した。川端康成もそういった作家のひとりである。
この『浅草紅団』も新たな時代の流れを汲んだ、川端康成にとっての実験的な作品であると考えられる。
昭和4年11月、浅草の水族館の二階に“カジノ・フォウリィ”が旗揚げされた。そこは
『エロチシズムと、ナンセンスと、スピイドと、時事漫画風なユウモアと、ジャズ・ソングと、女の足と──』1930年型の浅草を代表していた。川端康成は“カジノ・フォウリィ”の踊り子たちとの交流お通じて浅草の大衆文化を描こうとした。

浅草を跋扈する不良少年・少女グループ“紅団”。
本作品のヒロインである弓子は紅団の首領格の少女。ザンギリ頭のお転婆で、変装が得意で、勝気で男顔負けの気の強さ。
イキイキとしたキャラクターがとっても魅力的vな女の子でした。
男に棄てられて気のふれた姉を持つ。この姉の元恋人に弓子は接触したがる。
そして、弓子と男の『亜ヒ酸の接吻』…。おおお!おもしれええ!!!
と物語がもりあがってきたところで、この小説、休載しちゃったんですねーあれ〜〜(^^;

そのあと…続編はなんだかなあ。しりすぼまりな感じでちょっと退屈でした、
まぁ川端先生はストーリーよりも“浅草の風俗を描くこと”に重点を置いてたみたいなので、こういう小説もアリかな。
川端先生の試行錯誤したあとがありありと見て取れて興味深かったです。
しかし、最初の雰囲気のままで、弓子を中心とした人物たちとのアレコレを最後まで書いてくれたら
きっと『浅草紅団』も『伊豆の踊子』に匹敵するようなすばらしい作品になったと思うんだけどなぁ。。

『……思うままに男の人が好きになれて、そして好きになればなったように出来たら、どんなに世間が楽しいかと思うわ。……私は女じゃないの。姉さんを見たんで子供ん時から、決して女にはなるまいと思ったの。そしたらほんとうに、男っていくじなしね、だれも私を女にしてくれないの。』