小ナポレオン、山田顕義☆彡 小さい閣下はかわいいなあ☆彡

剣と法典―小ナポレオン山田顕義 (文春文庫)

剣と法典―小ナポレオン山田顕義 (文春文庫)

松陰門下の陸軍将校・山田顕義(市之允)の小説。
もともと陸軍の軍人で「用兵の奇才」とうたわれた天才軍師で、戊辰戦争でも勲功をあげており、順調にすすめばまぁ陸軍元帥の椅子にのっかることはできたであろう凄い人物なのですが、おなじく松下村塾の同窓で陸軍の山県有朋との政治的不和が原因で、いとも簡単に軍人辞めて、司法畑に飛び込んでしまうという無茶をしてくれます。

市之允に政治的野心というか功名心がなかったから、あえて陸軍の重役の位置を山県に譲ったのかもしれませんが、私としては市之允が山県のことを死ぬほど嫌っていたからじゃないかなー!と思いたい。そのほうが、萌える(コラ)というのは冗談ですが、『シリーズ学祖・山田顕義研究 第7集』(日本大学が発行)(※市之允は日本大学の学祖です)によると、市之允は山県に対する不満やら悪口やらを誰かれかまわず吐き散らしてたとゆー逸話を発見しましたので、…なんとなくそんなイメージ。

年下(後輩)だからという理由で山県有朋にコケにされまくって激怒した山田顕義は、お腰に携えたサーベルを投げ出して
ナポレオン法典を手に取った(第一次伊藤内閣で司法大臣に就任した)。ああ、ちいさい閣下はちいさいくせに短気だなあかわいいなあ。

で、この小説のみどころといえば

●幻の建白書〜兵は凶器なり〜

●法典論争〜山県内閣総理大臣さりげなく嫌がらせしてないか?〜

●不可解な死〜暗殺だったのでは…〜

このあたりですか(大津事件もなかなか興味深いのですがやっぱ三つ選ぶなら上記三項目)

まず、“幻の建白書”について。これは山田顕義岩倉使節団の理事官として渡欧した際に構築したものですが、
「兵は凶器なり」という大前提で始まる、この一万五千字の著大な建白書は、当時(政府の一部で外征熱が盛んだった)としては異色なほどのリベラルさで注目に値します。
「近隣への攻撃的な軍政を大車輪でととのえて行った明治陸軍」(BY古川薫先生)
からは180度離れていっちゃってる山田顕義。唯一、木戸孝允の賛同を得てはいましたけどね。

話は変わるんですけど、台湾出兵のとき大隈重信が自らの対外政策の思想書「海外出師之義」を太政官に提出した、という記述が司馬遼太郎の『翔ぶが如く』にありましたが、「兵は兇器であり、戦は危事であり、…」という内容を見ると、これは山田顕義の建白書の流用のような気がする。一時大隈の手に渡ったことは聞いていたが、まさか台湾出兵のときに引っ張り出されるとは。

法典論争について。10年の歳月をついやして編纂した民法と商法の法典が、議会で否決されてしまう。市之允にとっては一難さってまた一難…否決の原因は
・イギリス法学士会との対立
・旧弊の日本文化と相容れなかったため
市之允はフランス人法学家ボアソナードに師事していたので、出来上がった法典もフランス流だった。それがイギリス法学士界との対立の原因になったと。
しかしこれも幻の建白書と同様、リベラルすぎて明治人には理解不能だったためアッサリ水泡に帰すのです。市之允!なんて可愛そうなの!すごい人なのに理解されないってのはツライね。

そして暗殺疑惑?について、古川薫先生は「暗殺だったんじゃないの」という臭いを強くただよわせたことを書いておきながら、小説では事故死シーンを書いてますが。(まあ歴史小説なのでフィクションであることはアタリマエですが。)
読者の想像をかきたてる終わり方でした。

池袋にはたしか、山田顕義の墓碑がありましたよね。墓参りへ行きたいよ。