不如帰(ほととぎす)/徳富蘆花・・・明治の悲恋ここにあり。

不如帰―小説 (1971年) (岩波文庫)

不如帰―小説 (1971年) (岩波文庫)

新婚早々肺結核を患った浪子は姑によって実家に戻される。折悪しく夫の武男は海軍で遠洋していたため、知らぬ間に愛妻と離縁するかたちになった。愛し合う二人の間には次々と障壁が立ちふさがり…逢いたくて、恋しくて、でも逢えない。

世間の体裁、ヨメ姑問題、封建社会…時代を臭わせるなぁ!
ていうか、蘆花はそういったいわゆる「悪しき慣習」を批判してるつもりなのでしょうか。
ほんっと蘆花って さ・よ・く v (←えええどうしてそうなるの)

いや、昨年8月ごろ青空文庫で読んだ『謀叛論(草稿)』

大逆事件で政府によって処刑された幸徳秋水らを擁護する弁論。革命大いに万々歳!なとこが左翼。社会主義が左翼っていうんじゃなくって…蘆花は精神的に左翼でしょ。(意味不明)
蘆花はそういえばお父さんとも仲たがいしてたんですよね。葬式にもでなかったみたいだし封建への反発?

論旨を戻す。
幼い頃から継母にいじめられ、日陰の身となりて辛酸をなめつつ育った浪子お嬢様は、やさしい男性・武男と結婚しこの世の喜び──生きる喜びを初めて知る。
おしどり夫婦はこの二人のためにあるような言葉かと思われるほど仲睦まじく、互いにいたわりつ支えつハッピーライフを享受しておりました。
しかし武男の母、川口未亡人は超ド級サド姑で(…いや義理人情もちょっとはあるけど)暴君の夫が亡くなると同時に女帝然として御家の権力を握る、握ってはヨメ(浪子)をいじめる。
さて浪子、体調が芳しくないとて臥しがちになり、一ヶ月ほどして運命なるかなついに喀血がはじまる!(肺結核は、この当時は不治の病)
姑は、大事な一人息子の武男に結核がうつらないか心を揉み、そこにつけこんだのが千々石さん(かつて浪子にニベもなくふられた男、浪子と武男にはひとかたならん怨恨があった)千々石はそれとなく離縁させたらどうかとすすめる。下心みえみえ!
姑は一人息子可愛さから武男を説得するのですが、武男・浪子ラブラブご両人を引き裂けるわけもなし…
しかたないとて、海軍軍人である武男が軍艦遠洋でしばらく留守にしていた間に独断専行アッサリと浪子を実家へ戻してしまった。

のちにこれを知った武男は仰天、そして大激怒!けど母親の言いつけは絶対である。(ここに時代のギャップを感じるなあw)
いったん出戻ってしまった浪子を呼び戻すのも体裁が悪い。泣き寝入る、というより勃然と仕事に没頭する武男
ちょうど日清戦争が開戦したころで、もう滅茶苦茶に暴れまわります(^^;挙句、名誉の負傷

黄海!昨夜月を浮かべて白く、今日もさりげなく雲を蘸(ひた)し、島影を載せ、睡鷗の夢を浮かべて、悠々として画(え)よりも静かなりし黄海は、今修羅場となりぬ。

わけもわからず離縁されて悲嘆にくれる浪子、毎日毎日思うことはひとつ…武男に逢いたい、逢いたくて死にそう、逢えないならいっそ、死んでしまおう…と身を投げかける、とそこである老婦人に救われる。
いっときの精神的救いを見出した浪子だが、結局、病魔は彼女の体を蝕み日に日に病み衰える、ついに武男のいないところで、大勢の親戚や友達に見守れながら、若く可憐な命を散らす…

という内容です。

蘆花の書き具合がじつに叙情的で、詩的で、こちらの同情を上手に誘う構成になっていると思います。浪子の潔白さに加えて、文章が、非常にうつくしい。
悲恋に終わり浪子は逝く、ていうか、ぶっちゃけ生き残った武男は私にとってはどうでもいいっす(おおい!)
しかし蘆花はうまい、文章が巧い…好き!明治時代のベストセラーですね。まー明治人の好きそうな内容ではありますよね、こういう悲恋ものって…けど今の世の人に受け入れられるかは謎、だって武男がチキnああああのおー!これ以上言うとやばい?;ので終わります。

良い小説でした。演劇や映画の原作にもなってるそうですね